twitterである方とやり取りしている中で、こんな言葉になりました。
図書館がなぜ必要なのか。それは、ある一方(往々にして権威・権力・体制側)が持つ情報的優位性を崩し、だれでも情報的に同じ平面に立てるため存在している
この国の長〜い歴史の中で培ってきた民族性みたいなものとして、一方に権威・権力を誇示しておきたい体制があり、一方に権威・権力に過剰に依存したい体質がある。その相互依存関係が、現状の姿を生んでいるように思う。これにより権威に過剰依存側は、自分で判断しなくなり、責任を行政に押しつけ、結果として税金の無駄遣いを招いているのでは…と。
日本図書館協会の常世田理事は、「自己責任社会になるから図書館は増々重要になる」とおっしゃっていました。逆に言えば[体制依存の無責任社会]では図書館の重要度は無いのです。この相互依存を断ち切り、自ら情報を得て、考え、判断し、行動するためには、一人ひとりが[情報的平面]に立てる環境の整備が必要。そこに【図書館】が存在する大きな理由がある。
ほとんどの人が、図書館はタダで文芸作品を貸してくれる場所と思いがちだが、本当の姿はまだまだ理解されていないし、理解されようと思って来なかった空気があることを感じますね。
僕はたぶん、そのあたりと戦っている…のかも。
平日は山中湖村の森の中にある図書館 山中湖情報創造館に、週末は清里高原の廃校になった小学校を活用したコワーキングスペースもある 八ヶ岳コモンズにいます。「わたしをかなえる居場所づくり」をイメージしながら、テレワークに加えて動画撮影やネット副業などにもチャレンジできる図書館/コワーキングスペースづくりに取り組んでいます。
コメント
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同感です。
同時に、羽仁五郎が「図書館の論理」などで主張している、国立国会図書館の理想にも繋がると思います。
某政党のいう“日本の伝統”に反することなので、理解されにくいことではないかと思うのですが…(時期が時期なので書くかどうか迷う所ではありますが…) Like