1989年から1995年にかけて、僕は八ヶ岳の麓・長坂町と新宿・初台との二重生活をしていました。理解ある独理系ソフトハウスに入社することができ、SOHO…というよりも「エレクトリック・コテージ」(A.トフラー「第三の波」)もどきのような、生活をしていました。月曜日に初台に出社し、ウィークディは初台にアパートを借り、金曜日の夜には八ヶ岳に帰る…というスタイルでした。
往復は、中央線の特急「あずさ」
当時は、あずさ回数券なるものがあり、けっこう割安で行き来することができました。
その車中での過ごし方の一つだったのが、八ヶ岳周辺の地域の情報を提供するシステム…名づけて「八ヶ岳フロント」のコンセプトワーク。
当時、バブル真っ最中ということもあり、水際地域開発としてウォーターフロントなどと言われていた時代で、八ヶ岳の南麓というフロントという意味や、ホテルのフロント、最先端をいくフロントという想いを込めて『八ヶ岳フロント』とネーミングしました。まぁ、電車の中だったので、プログラムを組むということでもなく絵に描いた〜でしかありませんでした。
結婚(できちゃった婚)を機に1995年に退職することになり、二重生活は終了。1994年にはじまったインターネットも、アマチュア無線程度の趣味の世界と思われていた風潮もありまして….新宿と八ヶ岳を行き来する僕としてはインターネットに限りない可能性を見ていた僕としては、いつか『八ヶ岳フロント』を実現したいなぁ….と考えておったわけです。
※そして1995年地元の印刷会社に再就職し、運良くインターネット事業部立ち上げに参加。その中で、「山梨インデックス」を作る事となったのでした…..。
平日は山中湖村の森の中にある図書館 山中湖情報創造館に、週末は清里高原の廃校になった小学校を活用したコワーキングスペースもある 八ヶ岳コモンズにいます。「わたしをかなえる居場所づくり」をイメージしながら、テレワークに加えて動画撮影やネット副業などにもチャレンジできる図書館/コワーキングスペースづくりに取り組んでいます。
コメント