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OPACは目録カードの夢を見るか?

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2008年のお正月、初夢ネタ…という訳ではありませんが、こんなことをば。

OPACは目録カードの夢を見るか

公共図書館の仕事を初めて4年目の年明けです。経験値からいえばたかが4年ですが、そんな中で感じていることの一つに、「図書館界はなぜ目録カードを捨ててしまったのだろうか」という疑問です。社会保険庁ですら、電子化されてもなお紙の記録を保存しており(全てではありませんが…)、それによって今回の不祥事に対して、かろうじて名寄せができる状態だったりします(…もちろん全てではありませんが…)。電子化されても紙媒体を残す事に実は重要な意味があるのです。

図書館界は残念ながら、OPACを導入した時点で、紙に記録した目録カードを廃棄してしまいました。おそらく目録カードは、それまでの図書館における書誌情報を書き貯め、知蓄積してきた財産なのではなかったか…などと、そんなことを思っているのです。

ま、そんな懐古趣味ではなく、実は紙ベースの目録カードには、電子化された現在のOPACでは実現不可能な機能が沢山あるのです。というよりも、図書館界は目録カードの持っている可能性の一部しか使わないうちに、電子化してしまったので、その可能性の芽を自ら摘み取ってしまった…と。

【電子化で落としてしまったもの】
目録カードは、単に[書名目録]だけでなく、[著者名目録]や[件名目録]などがありました。これはいわばリレーショナルデータベースの世界でいう『正規化』ができていたのです。これに対して多くのOPAC導入事例では、[書名目録]にすべてを詰め込んでしまいました。予算に余裕がある図書館では、典拠ファイルというカタチで[著者目録]を導入しているところもありますが、多くは[書誌データ]の中に、著者名はもちろん著者の略歴や件名も詰め込んでいます。すなわち『正規化』しない状態で電子化されてしまったのです。
この弊害は、リレーショナルデータベースがわざわざ正規化を必要としている理由と同様、目録データの冗長さを排除し、ひとつの修正が関連する全体に行き渡るようにするものです。このような状態で、電子化したものだから、そもそも導入した図書館において、電子化された目録データに対する書誌コントロール(書誌のメンテナンス)などは望むべくもなく、手をつけられない状況になってしまいました。
※例えば、著者「宮澤賢治」のプロフィールを追加しようとおもっても、宮澤賢治の著者目録を修正するのではなく、宮澤賢治の著書すべてのデータの著者略歴を修正しなければならないのです。

【目録カードの可能性】
その1:紙ベースなので、文字だけに限らない使い方ができた…はず。イラストや小さくプリントした写真や縮小コピーなどを貼付けることができた。著者目録カードには著者の顔写真や似顔絵、件名目録カードでは図入りの辞書/事典のように使えたのではないか。手描きの文字やタイプされた文字だけでなく、そんな使い方もできたのではないか。

その2:対象を図書に限らず、地域情報や地域資源も取り扱えたのではないか。いわゆる図書館情報学における資料組織論の範疇からははみ出すかもしれないが、地域の文化財、歴史的事件や出来事(歴史の単語カードみたいな使い方)、自然環境(動植物や気象など)…地域資源を情報化し、目録カードを使って『地域百科事典』のようなものをつくることもできたのではないか。

その3:目録カードによる参加型資料組織化。例えばその2にあげた目録カードを使った『地域百科事典』などは、図書館職員だけでは大変なので、地域の方と一緒に作っていくワークショップなどを開催することができたであろう。一般向けもさることながら、小中学生向けのワークショップであれば、総合学習のプログラムとして成立したのではなかったか。

等々。逆にいえば、OPACがそんな目録カードに憧れる夢を見る事は…ないのだろうか。

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