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図書館の核

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これからの図書館を考える中で、ふと「図書館の本質って何だろう?」と思うようになった。
表層的なものを、どんどんそぎおとして…それでもなお、存在を主張し持続性を求める…いわば『核』ってなんだろう…と。

そんな中で、たどりついたもののひとつに

 ・記憶と知識の館

というものがある。すでにそこには、「図書」ですら記憶と知識のためのひとつ“媒体”でしかない。記憶と知識のを残し伝える[もの=媒体=メディア]に、触れる事ができる場所。そこまで立ち戻って、再構築してみると頑に「図書」にこだわり続ける必要性すら無くなるのではないだろうか。もちろん、記憶と知識のためのメディアとして長〜い歴史のある「本」は大きな存在であることは重々承知。だけれども、その媒体である「図書」にこだわることで今の図書館がひとつの行き詰まりを感じているのではないだろうか…と、そんな気がしてしかたがない。

図書館が、本だけでなく、フィルムやレコードからビデオやDVD、CDなど多様な媒体(メディア)を扱うことや、パソコンやインターネットといった新しい媒体(メディア)を取り込むことを考えれば、図書館に対する捉え方は、《媒体》を提供することにこだわりをもつよりも、よりもむしろそこに記録されている内容である《記憶と知識》を提供することにこだわりをもつ方がよいのではないだろうか。

そう考えれば、《記憶と知識》を提供する場は、館の中だけとは限らない。
これまでの図書館が、かたくなに「図書」にこだわり、かたくなに「館」にこだわり続けていることが、今の図書館におけるひとつの閉塞感の原因になってはいないだろうか…そんな気さえする。

そうそう。
記憶と知識を提供する場と考えると、人と人との情報交換の場も考慮しておく必要がある。
井戸端をつくれとは言わないが、サロン的な交流の場もまた、記憶と知識を交換する場として考えるならば、図書館として必然的に備えるものだと言えてくる。

…でも、こんな考え方は…異端かな?

コメント

  1. ひなこ より:

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    こ>んな考え方は…異端かな?
    いいえ~~全然異端なんて思いませんわ。
    図書館に入ると「シィ~~~ッ」ってカウンター以外では一言もしゃべってはいけない雰囲気に息詰まりそうです。
    本は勿論静かに読むにこしたことはありませんが、図書館でばったり人と出会うこともあるのに、「シィーッ」だもん。
    サロンのない図書館なんて、とってもつまらないです・
    図書館での情報交換ってとっても生産的だと思うのだけど、やはり管理者が固定観念で本を保管管理と貸し出す場所としか考えていないのではないでしょうかね。
    読んだ本の感想を話し合ったりネット上の話題について話し合ったり、館長さんから最新図書館情報をお聞きしたりと、いろんな展開ができる可能性があると思うのですが、まずいんでしょうか。
    図書館は口にテープをして黙って入って黙って出ていくところなんですね。本さえ利用すれば・・・。なんかこれではなぁ~~とさびしいですわ。NY図書館のガイドブックを先日NYの知人から送ってもらいましたが人の暮らしにすごくかかわっているって印象です。
    結婚式したり、ダンスがあったり、図書館はまさにコミュニティの場になっているみたいです。
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    これまでの図書館の評価が、「蔵書数」とか「貸出数」とか「(貸出のための)利用者登録数」とかで判断されてましたから…いたしかたがないといえば、それまでなんですけどね。図書館の中の人はそれいがいの指標には対して関心を持っていませんでしたから。
    指定管理者制度が入ってからですよ。「図書館の評価」が問題として浮上してきたのは。
    それでも新しい潮流は生まれていて、僕が好きな小布施の図書館は、直営ですが、なかなか良さそうです。
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  3. ひなこ より:

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    こんにちは~~いつもどうも(^^)
    >これまでの図書館が、かたくなに「図書」にこだわり、かたくなに「館」にこだわり続けていることが・・・
    抽象的な言い方ですが、この館の壁を取っ払ったものこそ、将来のあるものなんでしょう。あるものは図書館とは言わないかもしれませんね。 Like

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