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パーソナル・デジタル・アーカイブスに想う 

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まだ本格的に取り組む前段階で、あれやこれやと思案しているのですが、パーソナル・デジタル・アーカイブに取り組むと、けっこう不思議な感じです。ちょっと一言では言えないので長めの文ですが、ご興味があったら。

【不思議その1】
 筒型のパッケージに入っているビスケットをイメージしてください。それぞれのビスケットが年代みたいなもので、まぁ、一枚一枚に1961、1962…なんて書いてある感じ。とりあえず、そのビスケットの容器には、46枚入っていますが、もっと細かい輪切りの状態をイメージしてもらってもいいです。パーソナル・デジタル・アーカイブでは、その46枚をテーブル一杯に出して広げているような感じがします。腕を伸ばせば、1970年大阪万博に連れて行ってもらえなかった自分がいたり、1980年に自衛官だった自分がいたり、1990年に当時つき合っていた女性と一緒にいる自分がいたり…どれもこれもが等距離感覚になるんです。これはとっても不思議な感じ。

【不思議その2】
ビスケットをテーブルに広げる感じがある一方、その逆の感覚もあるんです。そうやって今まで生きてきた過去が、羊羹かゼリーのように誕生日までプルプルと繋がっている感じ。それが僕の時間的後ろ側にトヨ〜ンと横たわっている感じです。僕は今突然ここに居るわけではなくて、振り返れば羊羹かゼリーのような過去があって初めて今ここにいて、こうしてブログに書き込むためにタイプをしている。この感覚。

【不思議その3】
写真を見ていると、忘れていた友達の名前を思い出します。当時の仕事仲間、遊び仲間、ボランティア仲間等々…あ、この人も写っているんだ…なんて出会いが信じられないほどあるのです。この友人たちとの交わりが、たぶん今の僕を形作っていたりします。もし19の時に陸自を辞めていなかったら…僕はけっこうふんぞり返っているような人間になっていたように思います。その後の出会いが今の僕になるように影響を受けているのです。それをすごく実感します。

【不思議その4】
これらはすべて、アナログのフィルムでもそうなのですから、ケータイやデジカメ全盛の今現在の子どもたちは、間違いなく自分のパーソナル・デジタル・アーカイブスを持ち歩くことができるのです。これって何だろう? 振り返ることが後ろ向き…ということではなく、前進するための必要な後ろ支えとしてパーソナルデジタルアーカイブスを持つことができるのだろうなぁ…と、感じます。

というわけで、パーソナル・デジタル・アーカイブスをはじめると、そこにひとつの感覚/哲学/思想…みたいなものが生まれそうな気がします。

あなたも、取り組んでみませんか?

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