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■そうか!情報って「情況報告」だったんだ。その6

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−情報は力なり−

 私は現在、NPO法人の職員として、山中湖情報創造館という公設民営の公共図書館で働いている。指定管理者制度により公共施設も民間が運営できるようになり、図書館における全面的な運営は全国でも初めて事例らしく、視察団体も数多い。
 そんな視察団体の中でも「我が町村でもこのような図書館を」という方や、「指定管理者制度を導入してNPOに運営をまかせれば、すべてうまくいく」的な考え方を持たれている方も少なくない。しかし、ちょっと待って欲しい。
 カタチから入るまえに、「なぜ図書館が必要なのか」の議論がなされていないように感じるのである。
 先日も、地元の小学生たちの社会科見学で、ちょっとした質問時間が設けられた。「お休みはいつですか」「働いている人は何人ですか」という質問の中に、こんな質問があった「図書館はどうしてあるんですか」と。

 先に、司令官の話を書いた。戦場から時々刻々と寄せられる「情報=情況報告」と、自分の持てる知識や経験を照らし合わせて、情況を認識し、判断し、作戦を立案し、実行命令を出し、行動に移すと。そして責任者はこの司令官であり、命令を実行する現場の兵士は、その命令を忠実に実行するだけである、と。
 これは軍隊の例ではあるが、昨今のいわゆる『自己責任社会』においては、まさに個人一人ひとりの中で、同様のことが行われているのである。一人の個人であっても、必要な情況報告を入手し、判断し、自分自身に命令を下し、実行し、そして責任もまた自らが背負う。一見あたりまえのようであるが、ここ数年この『自己責任』が大きなうねりとなって、私たちの暮らしに影響を与えている。
 例えば、現在の医療機関では、インフォームドコンセント(納得医療)があるが、これは従来医者が追っていた責任を、患者側が責任を負うための方法論なのである。簡単にいえば、医者が「切ってもよいか?」と訪ね、患者に判断をゆだねる。「切ってもよい」といえば、切った結果の責任は、医者ではなく、患者自身にある。まさに『自己責任』である。この判断を委ねられた患者は、何をもとに、情況認識/情況判断し、実行命令を出せるのであろうか。必要な情報=情況報告が十分に得られぬままに、決断を迫られることほど、恐ろしい事は無い。
 自動車を購入するときにも、メーカーのカタログやメーカーや販売店での試乗だけで判断してはいないだろうか?メーカーのカタログは客観的な情報というよりも広告と思った方がよいし、販売店では客である私たちを「その気にさせる雰囲気」を作っている場である。客観的な情報は、実は何一つないのである。利害関係のない第三者による商品テスト情報は、米国などの『自己責任先進国』では、かなりあたりまえの情報として出回っているようである。「選んだのはあなた」だから「責任もあなた」。ただし、入手できる「情報=情況報告」には、雲泥の格差がある。この情報入手機関として担保されているのが、米国の公共図書館なのである。少なくとも今後図書館建設を考えている自治体もしくは市民団体も、単に読書の場としての図書館をとらえることなく、到来する「自己責任社会」に対する「情報入手保証機関」としての図書館を考える必要がある。そして「情報入手保障機関」として、我が自治体にはどのような施設が必要であるかの議論を重ねていただきたい。そしてその機関の運営が、従来の公務員制度の中では困難であると予想される時にはじめて、指定管理者制度による民間委託の検討があるのではないだろうか。また、公務員でさえ困難な仕事を受託する民間団体/民間企業の育成もまた、必要なことである。
 情報は力である。「自己責任社会」を担保する「情報入手機関」としての図書館。そして一人ひとりが必要とする情報を入手できることを保障し、住民の総合的な「情報力」を高め、自らが判断し、行動し、責任を負えるようになる。
 少子高齢化社会。まちの活性化。対処両方は様々だろうが、きちんとした図書館をつくることは、地域社会における漢方薬のように、じわじわと住民の体力(生きる力)を高めていくものと考えるのである。
 
※情報力:情報の入手、ふるい分け、判断材料として情報を活用できる総合力。広義のメディアリテラシー(=媒体素養)。

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