(ひとりごとです。誤解をうけそうですが、作品の内容や道徳的なことを指摘しているのではなく、そこに登場する登場人物/キャラクターの生命力というか、存在力みたいなところでの話しです)
(すぐに論文を書くにはいたりませんが、児童文学における[キャラクター]と[プレイス]について、リサーチしてみたいと思います…が、目的は、どうやって今の子どもたちと本との出会いを取り持つか…であって、批判や誰かをやり込めることではありません。お間違いなく)
児童文学における登場人物/キャラクターのことを考えていたりします。
その中での発見(…になるかなぁ)です。ものの見方/捉え方といってもいいです。
「一発芸人」みたいな登場の仕方なんです。
一つの物語でしか登場しない人物の実に多いこと。
他の物語にも同一人物が登場することは…まずとっても珍しいくらい。
こうした傾向は、今の子どもたちの目線からみれば、それはまるで一発ギャグで一年で消え去ってしまう…いわゆる「一発芸人」みたいな登場の仕方と同じ。そんな風に思われているとしたら…どう切り返しましょうか?
・同じ作者による他の作品を横断して登場する[人物/キャラクター]は、稀少(ほとんどない)。
・ましてや、他の作家の作品にも登場するほどの[人物/キャラクター]は、皆無状態。
・そもそも、そんなことは芸術的児童文学の世界には必要ないのか…も。
平日は山中湖村の森の中にある図書館 山中湖情報創造館に、週末は清里高原の廃校になった小学校を活用したコワーキングスペースもある 八ヶ岳コモンズにいます。「わたしをかなえる居場所づくり」をイメージしながら、テレワークに加えて動画撮影やネット副業などにもチャレンジできる図書館/コワーキングスペースづくりに取り組んでいます。
コメント
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息子(28歳)の書棚から拾った文庫本の作家・伊坂幸太郎のシリーズは、けっこう楽しめました。
登場人物がまったく違う物語(舞台もテーマも別)に出てきたり。ファンサイトがあり、いろんな作品から抽出した人物相関図があったり。
こういう感覚って、ゲーム世代のものだな……と妙に納得したりして。
必要ないかあるかはわからないけど。
可能性を秘めているかも。 Like
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>やまこ さん
いつもコメントありがとうございます。
麻生総理ではありませんが、「キャラが立っている」のですね。作家としても作品世界があって、その世界からのエピソードとしての作品づくり。だからその作品世界には、読者の数だけ別のエピソードがあったりする。同人誌の世界などでも、そうしたアナザーストーリーで、世界観を共有する感覚。
ゲーム世代のもの…に特有なのかなぁ…と思ったりもしますが、児童文学の作品に[子どもたちとの物語世界の共有]が必要なんじゃないか。その中に[自分がモデルとする人物像]があれば、これほど幸せなことはないんじゃないか…なんてね。
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