児童文学/子ども読物の分野の中で、日本と海外を比較してみたくなった。
1.和訳されている海外の作品数
2.海外で翻訳されている日本の作品数
どこの国に何タイトルくらいか
3.そもそも海外の児童文学には、芸術的児童文学と大衆的児童文学とに別れているのか
あたり。
海外の児童文学のキャラクターは、たくさん日本に入ってきているのに、逆に日本の児童文学のキャラクターは海外でどの程度知られているのだろうか…と。
もちろん、マンガやアニメのキャラクターはたくさんあるとおもうんだけど、日本の文学作品が海外でどのように展開されているのか…気になってきました。
平日は山中湖村の森の中にある図書館 山中湖情報創造館に、週末は清里高原の廃校になった小学校を活用したコワーキングスペースもある 八ヶ岳コモンズにいます。「わたしをかなえる居場所づくり」をイメージしながら、テレワークに加えて動画撮影やネット副業などにもチャレンジできる図書館/コワーキングスペースづくりに取り組んでいます。
コメント
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一連の流れ、興味を持って拝見してました。
3に関して興味がでたのでざっと見て見たのですが、ウィキペディアでニューベリー賞の項目を見てみましたところ、アメリカでも大人が選んだ賞を取るような作品とこどもたちが手に取るような本はあまり重ならないようです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%99%E3%83%AA%E3%83%BC%E8%B3%9E
そう言われてみればキョーレツ科学者フラニーとかスーパーヒーローパンツマンなんかはアメリカのゾロリっぽいです。 Like
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>鯣乃十三 さん
コメントありがとうございます。
そうなんですか。ただすごく気になったことは、ALA(米国図書館協会)やそこでの児童サービス、YAサービス、LC(米国議会図書館)における子ども向けの読書推進プログラム等々を見ていると、日本の児童サービスが何十年か後には追いつけるのか…を考えてみても、たぶんぜ〜ったい無理!と思えてきてしまって、根本的に何か大きな間違い/勘違い/不整合…があるんじゃないかと思っているのです。
本当に、子どもたちと向き合っていたら、こういう本をススメるだけで本当にいいのだろうか…という疑問が最初にありました。大人がススメる本と子どもたちが読みたい本の乖離…一見ありがちなことのようですが、実はすご〜く根の深い問題が潜んでいるんじゃないか…って、思えてきてます。
追いつき追い越せが全てではありませんが、このままでは「日本の子どもたちが不幸だ」と思い始めていたりします。
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一連の話題、似たような話をどこかで読んだな、と思って探してみました。
おもちゃデザイナーの相沢 康夫氏の『 好きッ!絵本とおもちゃの日々』
http://www.amazon.co.jp/dp/4871681971
のp.76-77に、子供が学校図書館から借りてくる日本の児童書が読み聞かせに堪えないことに辟易した氏が、次からは作者名の本だけを借りる様に勧めるシーンがありました。(自分の好きな日本の作家は自分で教えれば良いという判断です)
まぁ、翻訳物はどの本を翻訳するか選択する段階で更に選別を受けるから国産のものより質が良いはずだ、という論も成り立ちますが、個人的には、瀬田貞二とその後継者が孤軍奮闘したので、多少とはいえ日本の児童文学に読めるものがあるのではないかと思っています。 Like
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>power_of_mathさん
コメントありがとうございます。
先日読んだ本の中にも「芸術的児童文学」と「大衆的児童文学」との狭間(あるいは対立)みたいなものが、大きく横たわっている感じを受けました。さもありなん的なところがなんだかなぁ〜ですけど。
ALAの児童文学賞のところで興味深かったのは、[シリーズもの]を除いている点です。僕はブログの中でちょっと過激に「一発芸人みたいな登場人物」と書きましたが、むしろそれが評価のひとつになっている。これは何が理由なんだろうか…と、考えています。浅知恵的に書けば「シリーズもの」はその時点でキャラが立っているので、作家の文章力よりも物語世界の存在が上回っている。反面単発物はキャラクターも世界観よりも文章力に頼らざるを得ない分、作家の力量そのものが試される…みたいな感じ(かな?)
ただいま、ちょっと反省しつつ「角川つばさ文庫」などを読み始めています。ケロロはあるし、涼宮ハルヒも出るそうな…。
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