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郡内今昔写真帖(郷土出版社)

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郷土出版社の「郡内今昔写真帖」が、謹呈でやってきました。もちろんその場で山中湖情報創造館に寄贈させていただきました。
写真集めには十分な協力ができませんでしたが、図書館に地域の古い写真をきちんと資料として受け入れる仕組みづくりが大切だなぁとつくづく感じました。

「昭和の子どもたち」というテーマの中で、こんな文章を書かせていただきました。

昭和の子どもたち

昭和の子どもたちは、何度も大きな時代の変化に翻弄されつつもしっかりと生きてきた。ある時は明日をも知れない時代を生き、ある時は終戦の開放感を感じ、ある時は変わりゆく風景に未来を感じ、そしてまたテレビ放送や少年向けの雑誌に空想科学的な21世紀の世界を夢見ていた。
昭和36年生まれの僕はまさにそんな昭和の後半と共に成長してきた。ビー玉やメンコ、ベーゴマで遊びもしたが、始まったばかりのテレビ放送と子供向け雑誌に夢中になった。白黒放送のアニメ、ウルトラマンなどの特撮ものなどなど。
僕は、結婚後上京した父母のもとで、東京の下町に生まれた。高度経済成長まっただ中の東京での暮らしと、夏休みなどは祖父母の住む田舎で伝統的なお祭りにも参加する事もあった。あの当時の都会と田舎の両方を体験することができたので、当時の写真を見ると、僕が体験した範囲のことではあるが、とてもよくわかる。
そんな昭和の子どもたちの日々が、こうして写真で記録され、出版物として見る事ができる。自分自身が写っている訳でもないのに、その一枚一枚がとても愛おしく感じる。懐かしさやノスタルジックな想いだけではない。そこには「僕も確かにあの時代に生きていた」とでもいうべき、生きていた証しをこれらの写真から強く感じる。傾けるとウィンクするダッコチャンも家にあった。糸を巻くのが難しいベーゴマも遊んだ。ゴム動力の飛行機も作って飛ばした。そして何よりも、僕自身も小学校入学時に白いタイツに半ズボンの姿をしていたのだ。
僕は今NPOの活動として、地域の歴史や文化などをデジタルで保存しこれらを地域の共有の財産とすることに参加している。それぞれの家庭の記録が、本誌のような出版物になることで『私だけの想い出』が『私たちの想い出』となりさらに『地域の記憶』となって次の世代に伝えられることは、本当に大切なことだ。環境問題も重要な問題だが、汚れた川が美しく再生した例は少なくない。自然は蘇ることができる。それに比べてこうした写真の記録は、失われたら二度と取り戻すことはできない。記憶している人が生きているうちはまだしも、その記憶も寿命とともに永久にこの世の中から失われてしまうのだ。優劣をつけるわけではないが、このような地域の記録を集め、後世に伝える事業は、自然環境を守ることと同様あるいはそれ以上に、とても大きな使命なのではないだろうか、と考えるのです。

コメント

  1. lanova より:

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    おっしゃるとおりですね。媒体は写真だけに限らないと思います。貴重な体験をした人の言葉や話の中にもありますね。それを形にして残していくのも一つの仕事(役割)ではないかと思っています。私はもう亡くなった祖母からもっともっと話を聞いておくべきだったと、それを形に残しておくべきだったとつくづく思っています。 Like

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