正直なところ、このテーマについては、考え始めたばかりです(つい昨日のこと)。
まえの投稿でも書いたように、日野原先生は「いのちは時間です」と言い切った。
僕も、命と時間は不可分だと思っていた。
もうひとつ、d-laboというイベントで国立国会図書館の長尾館長さんは「情報と時間」の関係について示唆されていた。
う〜ん。そこで僕はこう考えた。
その1:絶対時間軸あるいは地球時間軸あるいは基準時間軸
世界に流れている時間の一番大きな流れ(ある意味でこれもまた相対的なものかもしれないけど)。
いわゆる今日が西暦2009年の12月12日0:53(日本時間)であるということ。過去から未来へと変化し続ける時間軸。
その2:相対時間軸あるいは固有時間軸あるいは再生時間軸
映像のPLAYボタンを押した時から始まる、個々のコンテンツや物語が再生や視聴、読書のために必要とする時間。これはいつ始まってもいい。いつ終わってもいい。
この2つの時間軸を考えると、「命」や「出来事」は、絶対時間軸から引きはがす事はできない。坂本龍馬が誕生して亡くなるまでの時間は、あの日からあの日までは動かすことのできない事実。9.11の同時多発テロもあの日あの場所であることは、変えることはできない。
しかし一方で、僕らは「龍馬がゆく」をいつ読み始めてもいい。読み始めた時からその物語の相対時間が動き出す。9.11の出来事はあの日にしかないが、記録された映像は、いつ再生し、なんども繰り返し映し出すことができる…これが相対時間軸/固有時間軸/再生時間軸。
出来事を情報化することのひとつの目的には、僕は森羅万象を可編集化 Editablizeすることだと以前書いたことがある。世界を自分の目の前で再編集するために、事象を情報化するのだと。
そしてあらたにもうひとつ付け加えたい。それは、森羅万象の情報化の目的は、それぞれの事象を絶対時間軸から引き剥がし、固有時間軸を持たせる事なのではないか…と。
もちろん、もうひとつ物語世界の中にある「時制」もある。物語の中ではページ順の再生時間と、物語そのものの進行時間(過去に戻ってみたり、未来に進んでみたり)もある。
命とは、絶対時間軸/地球時間軸/基準時間軸から引きはがすことができない事象。
情報は、その絶対時間軸から事象を切り離すために用いる手法によって記録されたモノコト。
情報という概念に「時間」という要素を持ち込むことによって、僕らはこれまでにない情報空間に出会う事になるような気がする。
…な〜んてことを書き留めておきたい。
平日は山中湖村の森の中にある図書館 山中湖情報創造館に、週末は清里高原の廃校になった小学校を活用したコワーキングスペースもある 八ヶ岳コモンズにいます。「わたしをかなえる居場所づくり」をイメージしながら、テレワークに加えて動画撮影やネット副業などにもチャレンジできる図書館/コワーキングスペースづくりに取り組んでいます。
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