明日のミーティングで、ちょっと話題にしたいと思ってます。
「市民メディア」が持っている可能性には、とても興味も関心もあるのですが、懸念材料もないわけではありません。気になっていることは
○伝える権利 (をいかに保障するか)
○協働の知財 (をどのように考慮するべきか)
○善意の搾取 (をしてはならない)
○権威の階層 (を生じないようにしなければならない)
とりあえず、今は箇条書きですが、「市民メディア」による地域の放送局は、マスメディアのミニチュア版ではない。ましてや“もどき”でもない。どんなものでも「本物である」とできる感覚を持っていたい。私が今伝えたいことがそれであるなら、主張する内容のレベルに高低はない。
とあるところで、こんなことを聞いた。
住民がディレクターとなって、地域の出来事を取材し、インタビューした番組を作った。某放送局がそれを放送するために、編集やナレーションを入れた…その結果、住民が作った番組の著作権は放送局側に渡ってしまった。これを聞いたときは「それって、善意の搾取だろう!」と憤慨してしまった。この国に本物の「市民メディア」を受入れられる土壌を育てる(いや、ある意味で勝ち取る)ことも、時として必要かもしれない。
※「市民メディア」にも含まれるかもしれませんが、「パブリックアクセス」が保障するものって、すごいと思う。マイノリティの声、極めてパーソナルな声でも、公の場で伝えることができるのですから…ね。
平日は山中湖村の森の中にある図書館 山中湖情報創造館に、週末は清里高原の廃校になった小学校を活用したコワーキングスペースもある 八ヶ岳コモンズにいます。「わたしをかなえる居場所づくり」をイメージしながら、テレワークに加えて動画撮影やネット副業などにもチャレンジできる図書館/コワーキングスペースづくりに取り組んでいます。
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