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基本的人権としての「情報権」

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先日のTOKYOメディフェス2009の統括ティーチインの場でも、質問させていただいたが、僕は現時点で、基本的人権としての「情報権」を4つ考えている。

 1.知る自由(旧:知る権利)
 2.創る自由(旧:表現の自由)
 3.伝える自由
 4.残す自由

1.知る自由
 知る権利は、「知ること」に対する権利を意味しているとすれば、ここでいう「知る自由」は、知ることと知らないことを自らが主体的に選択できること。を意味している。「私はそれを知りたい」がひとつの権利であると同時に、「私にそれを知らせないで/私にそれを教えないでください」もひとつの権利である。

2.創る自由
 まぁ、表現の自由のままでもいいのだけれど、表現する、書く、作る、造る、創るなど、100%オリジナルであろうと、MADであろうと、それらを創り出すことの自由は、基本的人権として保障されなければならない。

3.伝える自由
 表現したものを、公の場にする/しないも、個人の意志による自由選択ができる権利と考えている。パブリックアクセス権も伝える自由のひとつの権利である。また、現在様々なウェブサービスが無料でオープン(公開)していることも、ひとつの「伝える自由」を保障してるものと捉えることができる。

4.残す自由
 表現したもの、公開したものを、後世に残す/残さないも、基本的人権として個人の意志による選択ができるものである。

そしてすでに気づくことではあるが、これらの4つの権利は、[私]という個人の中では矛盾することはないが、[他者]との関わりの中では当然矛盾することも、そこかしこにある。すべての法律がそうであるように、一方の権利主張は他方の権利侵害になることも少なくない。基本的人権としての「情報権」もまた、そうした関わる関係者たち(ステークホルダー)の間での合意がなされる必要がある。

そうであっても、ひとりの人間としてこの世に生まれ落ちた時点で、誰もが等しく、「知る」「創る」「伝える」「残す」ことを権利として持っていることを、「基本的人権としての情報権」として、うたいたいと僕は考えている。

※だからこそ、個人メディアも市民メディアもデジタルアーカイブも成立するのだと考えているし、この基本的な権利が明示されない限り、その上にある様々なメディアの存在そのものが成立しないんじゃないか…と、そんな風に考えていたりするのです。

※ただ、僕は弁護士でもなければ法律学者でもないので、ひとりの法律の素人の考えでしか無いこともご理解いただきたい。

※ちなみに…、僕が思い描く「これからの図書館像」は、実はこの「基本的人権としての情報権」を保障する公的機関として存在する[場]としてのイメージを持っていたりもするのです。なので、公共図書館でメディア制作の場を利用者に提供することも含まれています。

コメント

  1. After内藤 より:

    SECRET: 0
    PASS:
     かつてDATが登場した時、自分でA/D変換したソースですらコピーガードがかかると聞いて「著作[する]権利の侵害だ!」と憤慨しついにSCMSに縛られた規格の製品はDATもMDも一切買わなかったのを思い出しました。 Like

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