図書館全体をひとつのシステムと捉えて、コンピュータのシステムと比較しながら考えてみると、以外とわかりやすくなるんじゃないかなぁ…ということで、こんな絵を書いてみました。
OS:基本ソフトとしての充実はあるのに、応用ソフトがあまりにも足りない…というよりも、未開発のまま今日まで来てしまっているのではないか…と、改めて感じています。ハードウェアもソフトが無ければただのハコモノ。しかも多くの図書館はかなり[素のOS部分]でしかサービスをしていないんじゃないか…と、そんな風にも思えて来たりします。
環境教育の分野では、この応用ソフトである[プログラム開発]にかなり力を注いでいるようです。『ネイチャーゲーム』『プロジェクト・ワイルド』『プロジェクト・ラーニングツリー』などのシステム化された環境教育プログラムもあれば、インタープリターによる様々なプログラムやアクティビティ、ファシリテータによるワークショップなどなど。
これからの図書館、その次の図書館、新しい公共による図書館では、こうした『図書館アプリ』の開発が不可欠だと考えています。
こうして図にしてみると、もうひとつ明確になってくることがあります。それは[人]。ライブラリアンの職域って実はこのOSの部分の仕事がほとんどなのではないでしょうか。それに比べて博物館・美術館・科学館や環境教育などはアプリの部分にかなり人材を投入しているように感じます。
図書館が戦後の「宣言」の前文の中で
4 わが国においては、図書館が国民の知る自由を保障するのではなく、国民に対する「思想善導」の機関として、国民の知る自由を妨げる役割さえ果たした歴史的事実があることを忘れてはならない。図書館は、この反省の上に、国民の知る自由を守り、ひろげていく責任を果たすことが必要である。
を拡大解釈する傾向があり、図書館から何らかの学習プログラムを開発し提供する事は「知る自由を妨げるものである」という風潮があったのではないか。思想善導とまではならないだろうが、確かにエコなライフスタイルもひとつの思想であるし、インターネットを上手に活用しようもひとつの思想であることを考えれば、図書館が主体となってそのような学習プログラムを提供する事を「思想善導」と拡大解釈する向きがあるのは、理解できないわけではない。しかしながら、そのために図書館をもっと利活用するためのプログラム=図書館アプリの開発をしないという理由にはならないのではないか。と、そんな風に思うわけです。
もしご興味・ご関心のある方がいらっしゃいましたら、一緒に考えて図書館アプリを作ってみませんか?
平日は山中湖村の森の中にある図書館 山中湖情報創造館に、週末は清里高原の廃校になった小学校を活用したコワーキングスペースもある 八ヶ岳コモンズにいます。「わたしをかなえる居場所づくり」をイメージしながら、テレワークに加えて動画撮影やネット副業などにもチャレンジできる図書館/コワーキングスペースづくりに取り組んでいます。
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