…とりあえず、後ほど用語解説など…
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図書館で働く「ライブラリアン(司書)」、博物館や美術館で働く「キュレータ(学芸員)」、文書館で働く「アーキビスト」などがあるが、これらの上位の概念に相当するものは何かあるのかなぁ…などと考えている。大学の資格にある司書、学芸員とともに社会教育主事というのがあるが、基本的にはこれは行政(教育委員会)などにおける生涯学習/社会教育担当者になる資格で、一般社会にはあまり重要視されていない…。
しかし、である。
生涯学習プランナー、コーディネータなどを含めて、こうした『社会教育施設』全般。公立も私立も含めて、ぜ〜んぶひっくるめた存在に何らかの呼称をつけたいと考えていた。
そのひとつの案を思いついたので、書き出してみた。
ソーシャル・エデュケータ(Social Educator)である。
コメントにもあるように、なんでカタカナ英語なの?という疑問は当然だと思うのだが、ここに日本語の落とし穴がある。漢字で書くことで何らかの権威/権力的な匂いを感じてしまうのは僕だけだろうか。そんなわけで、カタカナ英語ですが、こんな呼び方はいかがですか?
平日は山中湖村の森の中にある図書館 山中湖情報創造館に、週末は清里高原の廃校になった小学校を活用したコワーキングスペースもある 八ヶ岳コモンズにいます。「わたしをかなえる居場所づくり」をイメージしながら、テレワークに加えて動画撮影やネット副業などにもチャレンジできる図書館/コワーキングスペースづくりに取り組んでいます。
コメント
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質問!どうして日本語ではいけないんでしょうか?カタカナ、日本語英語の氾濫で、物事をわかりにくくしているような気がしてならないんですが…あ、別にまるさんを責めているわけではなく、最近の日本語って意味ですが… Like
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>lanova さん
とても良い質問ですね。いけなくはないんですよ。
例えば、これを
「社会教育者」(資格的には社会教育主事というのがありますけど)と言うとどうでしょう。
例えば、
「私、社会教育者の●▲■夫と申します」…というのと、
「私、ソーシャル・エデュケータの●▲■夫と申します」…というのと、伝わるニュアンスが異なってくるのです。日本語で言う場合は、どこか上から見下ろす権威/権力っぽい雰囲気が出てしまう。それに比べて、カタカナ英語だと、その上から物を言う雰囲気が薄まり、同じ目線でいっしょに学んでいきましょうというような雰囲気が漂ってくる。原因の追求は日本語学者の先生にお願いするとして、日本語が持っている[外国文化取り込み機能]があるような気がして(漢字の輸入や音読みから始まるのですが…そういう意味でいうと、そもそも漢字を多用することで権力とか体制とか支配者的な何かを感じるのは僕だけでしょうか?)います。
で、今のところ、「ソーシャル・エデュケータ」という言い方を誰もしていなかったので、先だし…ということで、上げてみました。
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