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「待ち組」….なるほど、そういう造語もあるのか。

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僕はいろいろな方のブログやら新聞社サイトのRSSを登録しまくって見ているのだが、同じニュースソースを入手しているにも関わらず、見過ごしてしまった記事をこのRSSの中で発見したり..します。

今日は、これがいい。
「『勝ち組』『負け組』はいいけれど、『待ち組』は問題」(小泉純一郎) Letter from Yochomachi

出典は
【小泉内閣メールマガジン 第220号】国会審議に全力投球(2006/02/02)
バックナンバー・配信先変更・配信中止は、こちら

「待ち組」といわれるど、あ〜〜〜なるほど〜〜〜。っと、妙に関心してしまう。
そうなのだ。今時の若いもん(〜なんて言い方をするオヤジになったものだ〜)に、ある意味で共通することかもしれない。
 今の若い人たちを理解するには、よいキーワードかもしれない。
 そう、彼らは「待っている」のだ。面白い事はないかと「待っている」、仕事はないかと「待っている」、業務指示を「待っている」….「自分から何かを生み出そう/始めよう」という気構えが…確かに不足していることは、なんとなく感じていたのだが…そうか! 「待ち組」なのか…と、妙になっとくしてしまうのだ。

 一昔前にも、「指示待ち族」とは「(○○して)くれない族」とかいう言葉はあったが、それは会社の中だったり、家庭内だったりと、限定された場面だったのが、なんだか社会的風潮として「待ち組」が成立しちゃっているのは、言われてみれ、けっこう納得してしまった。
逮捕されてしまったがホリエモンに見ていた魅力は、「待ち組」ではなく、若者の中にも自ら事を起こすパワーを、武部さんやら竹中さんらは感じていたのかもしれない(もちろん悪い事はダメよ)。

 翻って、大局をみれば、すでに
 「国がしてくれない」とか「国家・政府がしてくれるのを待つ」というのは簡単かもしれない。それによって大きな政府ができあがり、歳入を超えた歳出があり、国家破綻してもおかしくない状態なのは、国民全体が何でもかんでも「国にしてもらうことを待つ」組だったから…なのかもしれない。
 実はそうしたことに、待つことができずに、市民活動やNPOが誕生しているのであり、僕らが所属しているNPO法人地域資料デジタル化研究会もまた、そのひとつなのである。

 情報を得たかったら”待つな!” 自分から取りに出かけよう。
 教えてくれることを”待つな! ” 自分から聞きにいこう。
 図書館が不可欠になる時代を語るときに、「自己責任の時代」が来た。と言われているが、まさにそのことなのだ。

 そう…ちょっと前の雑誌に、「子どもたちを退屈させろ」というコラムがあった。今やテレビやゲームなど、子供たちを退屈させない装置に溢れているが、そんな環境で育ては、やがうえにも「待ち組体質」ができてしまう。退屈だから遊びを考え、退屈だから自分で何かを始める、退屈だから創造力や行動力が生まれる…という趣旨のそのコラムに、すごく共感してしまった。

コメント

  1. フォトボル より:

    SECRET: 0
    PASS:
    雑草のごとく待ち組で、いざ行動をともなえば、利権争い!!
    悲しいかなこれが日本です。多くの富をできるだけ平等に分かち合うのと、富を一カ所に集約する経済、どちらが良いかわからない。
    壁があればそれを乗り越える努力を惜しまないでいたいね。
    どうも、年回りで行くと、これから数年間は吠え続けなくてはならないらしい。 世に向けてウェーブ上で  ☆ワン☆ワン☆ワン☆
    行動すると、人も動く・・・・・・・妙に納得。  長過ぎコメント・ごめん・ Like

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