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8.6 沢口友美追悼

沢口さんとは、『同期の桜』の丸山です。
8・6広島原爆記念日
原爆の日、沢口友美追悼!白血病、原爆、世界平和と日本人を考える

に行ってきました。感想は後ほど…

白血病で「世をシノブ」

※写真は、高橋伴明監督と塩見孝也さん
 映画「火火」(高橋伴明監督)のダイジェスト版の上映もありました。全編を見たい…。

2005/7/16「(無題)」


今さらながらに、沢口友美さんのすごい生き方を感じました。
僕と沢口さんとの接点は、とにもかくにも『同期の桜』です。

沢口さんが陸上自衛隊朝霞駐屯地の婦人自衛官教育隊(当時の呼び方です)にいた、まさに同時期に、僕は武山での前期教育を終え、後期の通信教育隊で朝霞駐屯地に居たのと、同時期なんですね。
また、彼女は基地通信隊に所属し、僕もまた同じく中央基地通信隊におりましたので、ひょっとしたらどこかで、モールス信号のやり取りをしていたかもしれません。
沢口さんの肩書きに、『元自衛官』って必ずつくのですが、青春の一時期であっても自衛官という職業を選択した生き方って、本人にとっても一生影響するんですよね。これは僕自身も実感しておりまして、きっと沢口さんの除隊後の生き方・考え方にも大きな影響を及ぼしていると思います。

沢口さんとは、友人のブログで「元自衛官の反戦ストリッパー」の存在を取り上げた書き込みがあって、僕は何故かその存在を知っていて…ネットで検索して…こんな人だよ〜って、コメントをしたら…後日、ご本人である沢口さんご自身もコメントされていて…そんなカタチで、沢口さんとは、ブログのコメントのやりとりで知り合うこととなりました。その頃にはもう白血病ということで帰省されて病院通いもされていて…

昨年7月に山口県に講演に出かける用事がありまして、帰りにはぜひ呉に寄ろうと想い、沢口さんと呉駅前の喫茶店でお会いして…それが、結局最初で最後となってしまいましたが、とてもチャーミングな方だなぁ、という印象が強くて….その後に知った人脈のすごさを感じさせない方でもありました。骨髄ドナーが見つかればなんとか生還できる…なんてことを話したりもしました。僕はその後、呉の大和ミュージアムに寄ってから帰りましたが…なんだかとてもとても大きな存在の人に出会った…そんな感じでしたね。
帰ってから、お互いのブログに感想を書いたり…して。

11月ごろでしたか、ドナーが見つかったことをブログでも知りまして一安心したついでに、僕自身も近所の保健所に出かけて骨髄バンクにドナー登録をしたり、白血病に関心を持ったりしたんですね。ただ、当時白血病では本田美奈子さんのことがあったりもしました。
12月の移植手術、その後の経過などブログを見ながら気にしていたのですが、1月10日に帰らぬ人となってしまって…残念というよりも…これからもっと一杯、話をしたかった…そんな想いが強く残ってしまいました。富士山や山中湖に来てもらいたかったし、『同期の桜』として自衛隊のことを考えたり…

彼女が亡くなったあと、ブログが閉鎖されずに残っていることに、すべての望みをかけて、彼女の人脈の方々と出会う事ができたのも、すごく大きな出来事です。
そして、こうして追悼会に参加することができたのも…僕にとってはとっても大きな出来事です。

9月には沢口さんの描いた本が出るそうですが、読めば読むほど…彼女の存在の大きさをまた知ることになると思います。

…なんだか、とりとめもない文章になってしまいましたが、改めてご冥福をお祈りしております。

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