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コンテンツの3つの形態

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メディアとコンテンツについて書いた…ついでに書いてみる。
今日は、コンテンツの3つの形態がある…ということ。

結論から言えば、コンテンツには以下の3つの形態がある。

 情報:知的コンテンツの中でも一番シンプルな形態。
 知識:複数の情報から、新しい価値をうみだす形態。
 物語:多種多様な情報や知識をつなぎながら表現する極めて寛容なコンテンツの形態。

ということができる。

【情報】
情報とは情状報知の略語である。これは僕の自論ではあるが、ここでは情報を極めてシンプルなコンテンツの形態と捉えている。出来事を見たまま、聞いたまま…そこには解釈や判断は含まれない。そのまんま。例えば『◯○とは△△のことである』といったような、いわば辞書に掲載されるようなモノコトの記述であると捉えてもいい。そこにあるのは思想や哲学ということではなく、むしろ物事に対する言葉の付与、言葉の定義と割り切っても良いくらい。情状報知的な例を上げれば『敵陣地には、戦車2台、歩兵およそ200人』といった事実のままを表現するコンテンツを指す。

【知識】
複数の情報の組み合わせから、何らかの価値や意味づけなどが付与されたコンテンツ。いわゆる『知恵』というのはコンテンツそのものではなく一種の解法のようなものである。それに比べて『知識』は、『◯◯とは△△のことであり、□□とはこのような関連を持つ』そのことから、「◯◯が__すると△△と□□にはこのような理由で、以下のような影響がある」といったコンテンツ。推論や因果関係などなど、一つひとつの情報を組み合わせ関連づけることによって表現されるコンテンツを指す。

【物語】
情報や知識に比べて、包容力があり表現のバリエーションにかけても群を抜いているコンテンツの形態。多種多様な種類の情報や知識を、ゆるやかに…そして意味や価値や因果関係や、その他多くのことばを用いて表現されるコンテンツ。そこには時間も空間も存在していながら、それらの時空間にすら囚われずに表現できる力強さ(優柔不断さ)を兼ね備える。しかも、論理的につじつまがあわなくても表現としては成立する。

「情報」に関しては地球上のあまねくほとんどの生物は外界からの刺激を情報として受け取り、反応行動をとる。また一部の生物は経験的に学習していることを考えればそこには「知識」があると考えられる。
 しかしながら「物語」となると、これは人間特有の情報行動である。
 物語を語る人、物語を聞く人、それを文字で表現したり、本というメディアに記録され運ばれる。また母から子へ語り継がれる物語もあれば、大自然の声を伝える物語やあの戦争の体験を語り継ぐ物語もまた存在する。

 以前このブログでも書いたことがあるが、データベースのひとつのモデルとして、「ナレーショナル・データベース」もいずれ出てくるのでは?と書いたことがある。従来のデータベースではあまりにも、データベース構造(フィールド)が重要である一方で、情報相互の関連づけ(つながり)を表現できるものではなかった。それに対して「ナレーショナル・データベース」は、物語をデータベース化できるシステムとしてイメージしている。
 リレーショナルデータベースが、各種マスターとなるテーブル構造を主キーで関連づける。同一テーブルには同一形式のデータを何万件も入れる事ができても、別のテーブルをその中に含めることはできない。それに対して「ナレーショナル・データベース」は多種多様な情報を関連づけながら記述することで、柔軟なデータベース構造をつくることができる。

 物語の持つ柔軟性、フレキシビリティもさることながら、人間は小さいうちから物語を欲し、本を読んでもらいながら、テレビや映画を見ながら…そのような「物語を摂取」していたりする。人から「物語」を取り上げたら生きてはいけないだろうな…と、思えるほど。

というわけで、コンテンツには「情報・知識・物語」の3つの種類がある。
これは、将来の図書館が「本」といった物理的な物体を扱う館から、メディアという言葉を取り入れた後に、コンテンツセンターとして機能するための基本的な考え方になる。

繰り返しになるが、あえて書き留めたい。

 「物語とは極めて柔軟に情報・知識・物語を組織化できる情報組織法である」

と。

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