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映画資料(個人でもできるアーカイブ)

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こういう記事にふれるたびに、きっとたぶん全国的にみれば、とてもつもない資料があるんだろうなぁ…と、思う。

 ・山の中に眠る貴重な映画資料 日経トレンディネット

 この記事を読んで、日米のインターネット利用の違いを感じてしまった。しかもそれはすごく根っこに近いところの違い。これが理解できないと、日本はいくらブロードバンドだのユビキタスだのといっても、米国発のウェブサイト(ウェブサービス)には、全く歯がたたない…たぶん。
 個人が収集した資料や蔵書、コレクションの類いには、大きな差はない。何が違うのかと言えば、“共有”に対する考え方の違いなのではないだろうか。“所有”は同じでも、「私はこういう資料を持っています。」ということを、社会の共有の財産にしていこう…という考え方が大きく異なっている。
 この違いが、Web2.0と総称される数多くのサービスを誕生させる米国(実は日本ほどブロードバンドが整備されている訳ではない)とブロードバンドの整備は行われていてもサービスを誕生させられない日本との違いなのではないだろうか。

 インターネットの本質は、デジタルだの情報通信技術だのという技術的なことよりも、「物理的な所有」と「情報的な共有」を両立させる環境であると思う。『弘子文庫』はまさに「物理的な所有」の状態であり、まだ「情報的な共有」に至っていない。だから“眠れる”貴重な資料なのだ。

 こういういところに、光をあてるには、どうしたらいいんだろう?
 それこそ、NPOの力なのかもしれない。

※そういえば、以前山梨県内の個人が集めた映画のパンフレットを、どこかの図書館が寄贈を受けたが、扱えなくて返却してしまった…ということがあったような。あのパンフレットって、どこにあるのかなぁ。

コメント

  1. lanova より:

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    弘子文庫の記事、興味深く拝見させていただきました。個人所有の資料や作品、コレクションなどをオープンにしているところはこちらは結構ありますね。期間を決めてオープンハウスを開催したりもしています。 Like

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    >lanova さん
    ありがとうございます。
    梶山さんのように[場所]が見つかる方は幸せだと思います。例えば、大学の教授や研究員がリタイヤしたとき、研究室に所蔵した図書や資料の多くが行き場を失っています。大学図書館は収蔵に余裕はなく、自宅にはそんな部屋も無い。生きているうちならまだしも、ご本人が亡くなった場合、ご家族にとってはそれほど価値のある資料だとは理解されないことが多い。これらの本や資料はその教授/研究者というフィルタによって選定されテーマをもって集められたものであるにも関わらず…です。
    Wikipediaでは難しく、FlickrやYouTubeはちょっと画像/映像により過ぎ。個人の資料の[情報だけは共有したい]ということに応えてくれるサイトがあったらなぁ…なんて思っています。Winnyなどのファイル共有ソフトなども、機能的には問題もありますが、私の所有を共有領域に提供する…という考え方そのものは、悪くないと思っています。
    NPOでも資料整理のお仕事は受けるのですが、個人が支払うにはちょっと金額が高くなってしまいます。スポンサーをみつけ、資料を整理する…そんな仲介役も含めたミッションが必要になるのではないか…と、思うのです。
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