…なんていう話題があるが….実にナンセンスな議論の繰り返しに終わっているように思う。
先日のNHKの番組にしても、論点が絞れていない。
結論から言おう。
僕たちは毎日のテレビ番組の中で、[収録番組]と[生中継]を区別して見ているだろうか?
まぁ、せいぜい[ニュース番組]か、画面の上に[LIVE]の文字があるかどうかくらいで、地方局をみれば、お昼の生放送番組が録画で放送されていたりする。
2010年、日本中が光ファイバによるブロードバンド時代に完全移行する時代においては、[通信]も[放送]も、今の[収録番組]と[生放送]くらいの違いほど、区別無く視聴しているのだ。
さらに言えば、1)番組が検索可能であること。2)レンタルビデオ屋さんはネットディストリビュータになっていること…くらいであろうか。
通信と放送の融合にある議題について、とりあえず2点で考えると
・ジャーナリズムの質: ネット時代において、さらに高まってくると予想される。というのも、現在の放送は、過去の報道を検証することができないのである。新聞は去年のものであろうと、畳の下から出てくるような2、30年前の記事であろうと、読み返すことができるが、現在のテレビ放送は昨日のニュースですら見返すことができない。通信と放送の境目がなくなり、過去のニュース報道を検証できる時代になれば、当然ジャーナリズムの質は高まるのである。もちろん片方で玉石混淆的なニュースもあろうが、見る側も経済新聞とスポーツ新聞の記事の質の違いを区別できるくらいのリテラシーは持ち合わせている。
・連携ではなく融合: ….あるいは、視聴者から見れば、「どっちでもいいこと」なのである。
インターネット放送(配信)には、ダウンロード型もあれば、ストリーミング型もある。
さらにストリーミング技術には、リクエストにより呼び出すオンデマンド型もあれば、番組表にそった配信もできる。連携などと言っているようでは、テレビはテレビ、ネットはネットという既得権益にしがみついている姿が丸見え。視聴者は同じテレビ(きっとパソコンという姿すら見えなくなる)で、放送だろが通信だろうが、そんな区別無く見たい番組を見ている。そんなお茶の間のスタイルを、イメージできないのであろうか?
平日は山中湖村の森の中にある図書館 山中湖情報創造館に、週末は清里高原の廃校になった小学校を活用したコワーキングスペースもある 八ヶ岳コモンズにいます。「わたしをかなえる居場所づくり」をイメージしながら、テレワークに加えて動画撮影やネット副業などにもチャレンジできる図書館/コワーキングスペースづくりに取り組んでいます。
コメント
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NHKいい番組をやってくれました。 なんと間の悪い ドンピタです。
おかげで当方のHPに来客訪問が増えているようです。
これからは、有線と無線の境が無くなり、視聴者が価値観を見いだした番組が残るのかも。視聴者あっての放送なのです。
スタイル変更をイメージできないのが公共放送なのかも。 Like