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戦争って…

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まず、僕の意見としては、「憲法9条は変えてはならない」
これを変える事は、明治維新後、日本が関わったすべての戦争の犠牲を、すべて無駄にすることになる。

8月15日をすぎ、戦後62年の今、あらためて戦争や平和を自分なりに考えていたりする。
15日の夜には、NHK総合にて「日本の、これから」を見ながら、PCやケータイで参加してみた。
あの番組は何を意図しているんだろうと、首を傾げてしまう。意見を言うだけの場であり、なんら考える場ではないなぁ、と。むしろ、きちんとしたルールに乗っ取ったディベート形式で、憲法9条の改編に対して、YES側/NO側に別れて論戦を行う。その方が、実のある中身になりそうな気がします。ある人は感情論で相手の人格すら否定しかねないディスカッションのあり方には、見ていて辛いだけですね。

また、ニュース番組や特番などで、戦争体験を語り続けていますが、毎年違和感を感じずには居られません。それは、あまりにも「被害者としての日本」を語ることに偏り、「加害者である日本人」や、「戦地に送り出した国民意識(国防婦人会や隣組など)」それを「戦争を煽った新聞やラジオなどのマスメディアのあり方」などを取り上げるものは、皆無といってよいほど少ない。“過ちをくり返さない”ためには、被害者であることを語ることと同じくらい加害者であることも語らなければならないと思うのだ。

さらに、本当に戦争を繰り返さないことを決意するならば、日本はなぜあの戦争を始めてしまったのかを、本当に学ばなければ、あの戦争で犠牲となった敵味方を問わず全ての命が無駄になってしまう。
日本は、内乱の戦国時代を経て、江戸時代になってからのおよそ300年間、国内・国外ともに戦のない時代をつくってきた。それが、明治維新後からあの敗戦まで、いっきに戦争を行う国家となったのである。「富国強兵」「殖産興業」などのスローガンを掲げたあたりから、もはやキナ臭い国になってしまった。日清日露の戦争からあの敗戦までは、一直線なのだと思う。満州国建国にしても、その先には侵略のための戦争ではなっく、飽くまでも自衛のための戦争であったという理屈。油を確保するための自衛等々、昨日の「これからの、日本」において、憲法9条改正に賛成する方々の意見を聞くと、実は、あの戦争の前の理屈とまったっく同じといってもいいような内容であることに、ちょっと驚いた。憲法9条改正に賛成する方々は、あの敗戦から、あの犠牲から、そして歴史から何も学ばない人なのだろうか?と、本当に考えてしまった。

 僕自身の学校教育における歴史の授業は、近現代史はほとんど時間切れで、まともに授業を受けていない。なぜ日本は明治維新以降、戦争への道を突き進むようになったのかとか、勝ち目の無い戦争をはじめ、敗戦を経験し、そこから新たな日本再生に向けて先人たちの叡智を、歴史の授業では学ぶ事はできなかった。

さて、本当に戦争に反対するだけではなく、戦争を起こさない社会/戦争を起こさなくてもよい世界をつくるためには、私たち一人ひとりが、何をすればよいのか。それをきちんと学習する授業をぜひ学校教育にも、社会教育にも取り入れて欲しいものである。

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