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“ことば”に縛られてませんか? 手段が目的になりやすい国

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図書館の仕事をはじめて6年目になるのですが…いろいろと感じる中で、どうも「ことば」に縛られる場面に出くわすことがあります。

例えば「パスファインダー」
厳密にいえば図書以外の情報源も含めて書かなければならない…みたいな言葉の定義論に縛られてしまい、取りかかれない場面が多々ある。関連図書の一覧からでもいいじゃないですか。手段として捉えていたことが「目的」にすげ替えられ、その「目的可された手段」さえ満たしていれば本来あったはずの目的なんかどうでもよくなっちゃう…みたいな感じ。

大きなところでは「図書館」ということば。
図書館は何を目的にして設置されているのか、利用者さんに対して何を提供する機関なのか…を考えるよりも、なんだか「図書館」という言葉の定義…だったり。具体的に言えば「図書館」だから「図書さえあればいい」になるんだけど、情報提供機関ととらえれば「ネットもあるし、視聴覚資料も、テレビ/ラジオ放送があってもいい」とできるのですが、ここは『図書館(という言葉の定義)』にとらわれてしまう人たちが、あまりにも多い。

言葉の定義をおろそかにしていい…ということではないのですが、この国の傾向として「手段」がいつのまにか「目的」とすげ替えられ、「すげかえられた目的」さえ達成できれば、本来の目的なんかどうでも良くなっちゃう。そういう傾向があることは、しっかりととらえてないといけませんよ。

【決してよい事例ではないのですが、あの戦争のときの末期には「目的:戦争に勝利する」ために「手段:命も惜しまない」が、いつのまにか「いさぎよく死ぬ」ことが目的としてすげ替えられてしまい、国家として勝利(よりよい条件で和平する)ことが、まったくできなくなってしまった。それに近いことが、実はあちらこちらで起こっている…ように、思うのです】

ことば
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