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市民メディアの気になるところ 2

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 市民メディアは、マスメディアのミニチュア版ではない(と、思うのです)。市民の主義主張の声を上げて伝えることができる…いわば、「知る権利」に対する「伝える権利」を実現するにも等しい存在であると、思うのです。そういう意味では、パブリックアクセスやオープンマイクの延長に捉えた市民活動なのだと考えています。メディアは規模の大小に関わらず常に権力と表裏の存在であると思います。時に体制を批判的に指摘する反面、時にプロパガンダとして利用されてしまいます。だからこそ、市民メディアを主催する者は、細心の注意を計らなければならないと、思うのです。

○伝える権利(基本的人権として「伝える権利」を保障すべし)
○協働の知財(協働による知財は、独占しない/されない配慮を)
○善意の搾取(善意の行為は、無料労働ではない)
○権威の階層(権威を生じるないように、配慮すべし)

伝える権利: 現在は、「知る権利」が保障されている社会です。しかし「表現の自由」はあるものの、それを公の場に伝えるにはそれなりの権威を持った存在との関わりが必要です。すなわち出版、放送、新聞等のメディア産業です。それが今日の様々な情報通信技術におけるパソコンやインターネットの登場により、誰でも発信できる(公共空間的インターネット上に発信することができる)ようになりました。市民メディアは、マスメディアのミニチュア版ではないと、考えています。誰もが基本的な人権として「伝える権利」を持てる時代になったことを象徴する取り組みだと思っています。それを技術的に可能にするのが、これらのICT(情報通信技術)なのではないかと、考えています。

協働の知財: 市民メディアは一人で作ることもありますが、複数の人々の関わりの中で作る事もあります。関わり方も、主催団体だったり、ワークショップのファシリテータだったり、その参加だったり、技術的支援をするスタッフだったりします。そうした協働によるチームワークによる創作が行なわれるのが、市民メディアの姿なのではないでしょうか。誰かに雇用されたり、下請けとして仕事をする訳ではありません。企業等であれば、社員の創作は企業に帰属することもありましょうが、NPOであったり、そこに参加する市民であったりすると、その創作に対する考え方が必要になると思います。市民メディアにおいて協働による知財の取り扱いについても、考慮する必要があると、考えています。

善意の搾取: 市民メディアに限らず、志ある一人ひとりの善意を搾取するようなことをしてはならないと、思っています。残念なことですが、事業的な活動を実施する中で、「人の善意」を「無料の労働」ととらえる人も少なからず現れてきます。市民メディアは有志により、伝えたい想いを私のことばで伝えることができるメディアです。その市民メディア活動が志しある人々の善意を搾取するような結果にならないよう、心配りをしなければならないと、思っています。

権威の階層: 市民活動に権威は似つかわしくないと思っています。技術的なヒエラルキー、機材のヒエラルキーを感じさせることのないように、気を配らなければならないと考えています。携帯電話で撮影した動画も、数百万円する高精細なビデオカメラで撮影した動画も、それだけで動画の価値が変わるものではない。同様に、あちらには技術に長けたスタッフがいる、こちらの団体にはいないから…などといったことに権威の階層はないようにしなければならないと考えています。伝える内容に関しても、政治的に高度な内容の番組が偉くて、日常の風景がそうではない…などということもありません。市民メディア活動においては、権威の階層を感じさせないように気を配らなければならないと、考えています。

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