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Web2.0的

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送り手側からの一方的な情報伝達を、Web1.0的というならば、いわゆるワークショップのような参加型をWeb2.0的ということができる。
学校の授業のほとんどがWeb1.0的であることが理解できると思うが、本来総合的学習はWeb2.0的な要素を盛り込みたかったのではないか..と、考える。教える側がWeb1.0的な学習方法しかまなんできていないところに、Web2.0的な学習プログラムを実施しろというのは…さすがにうまく行く訳が無い。

こうしてみると、世の中はいかに一方的な情報伝達で成り立ってきてしまったのか、あらためて実感する。新聞、テレビ、ラジオ、雑誌、出版物….まぁ、出版物の中にはすべて投稿で成り立っているものもあるにはあるが、ほとんどのものが、向こう側から流れてくる情報を、ただ一方的に受け身でいるだけである。

サウンドをベースとしたインスタレーションに取り組んでいる友人から、相談を受けた時、ふとそんなことが頭に浮かんだ。音楽…特にコンサート演奏は、まさにWeb1.0的であった。ステージの上からの演奏を、ただ聴くだけである。それを、ちょっとだけWeb2.0的コンサートにすることはできないかなぁ…なんて…ね。
とある映画監督によるとある映画の中で、オートバイ好きの青年が登場するのだが、信号機で止まっているそのオートバイのアイドリング音が…聴いているうちに音楽に聞こえ始めるシーンがある。Web2.0的であることは、ひょっとしたら、音を出す側がどうのこうの…というだけではなく、音を聴く側に、音を聴く側の心(思い出や価値観や…そういったものの一切合切)に響く何かを状況として演出することなのかもしれません。
その映画監督は、映画とは4/9は暗闇である。フィルムがスクリーンに映されて、次のコマが映されるまでに一瞬暗闇がある。その光と闇によってはじめてフィルムによる映画は動いて見える。およそ90分の映画ではスクリーンに何かが映っている時間は50分。残りの40分は真っ暗なスクリーンを見ているのだと。そして、人が涙するのは映っている50分だけではなく、その闇の40分の中で、自分の想い出をスクリーンに見てしまうのだと….。映像を見ながら実際は自分の想い出をスクリーンに映し出して、感動する…と。また別の映画監督は、「映画とは、カットとカットの間にあるもの」といい、文学には「行間を読む」という言葉すらある。
そういう意味で、映画は実はWeb2.0なのかもしれませんし、そんな音楽…音と音の間の静けさの中に、人は音楽を聴く事ができるかもしれません。オーケストラの演奏は演奏が終了してから拍手がなるまでのほんのわずかな静けさを味わうものだ…と、ある方から聴いた事があります。そうした、一方的に伝えられる情報だけでなく、ふとそれが消えた時に、自分の心の中に映し出される映像。自分の心の中に響く音楽…そうしたものを、ちょっとだけ演出してみると、おもしろいかもしれませんね。

コメント

  1. lanova より:

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    <ふとそれが消えた時に、自分の心の中に映し出される映像>そうですね。ホンを読んでいても、ふと気になるフレーズを読むと、しばしその先に進めず、その中断の中でさまざまなイメージを描いている自分がいます。 Like

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