昨日の「東京国際ブックフェア」にて、国立国会図書館の長尾館長さんとポット出版社長の沢辺均さんとのトークセッションの終了時、質疑応答にて質問をさせていただいた。
Q(まるやま)
数年前から編集作業にはコンピュータが使われているのだから全文検索できるデータはあるはず。Googleの全文検索に依存するのではなく、業界団体で全文検索できる体制はつくれるのではないか。
A(沢辺さん)
編集行程もデジタル、印刷所への入稿もPDFだが、最終的に[白焼き]での修正も入ることからPDFが出版された最終版ではない。またGoogleにもPDFやテキストファイルを提供できることも伝えたが、断られた経緯がある。結論として出版社がつくるデジタルデータは使い物にならない…
…と。
僕はその答えの中で、ず〜っと気になっていたことがあり、帰りの電車の中ではそのことを考え、ひとつの結論に至った。それは日本人はどこか常に「完璧」を目指すあまり、アイデアは先行しても、取り組み(社会への提示)が結果として[後追い]になってしまうのではないだろうか…と。
1.Googleのブック検索において、日本語の認識は決して100%ではない。誤認識がかなりある。
2.それでも、どんどん公開して、利用者を獲得している。
3.沢辺さんの話を聞いた中では、白焼き後の修正が全体の何%程度なのか不明だが、たぶんGoogleの誤認識率よりも少ないのではないか。
4.そう考えると、デジタルでの編集/入稿の行程で作成されたデジタルデータを元に、全文検索できるシステムを作ることもできるのではないか。
5.Googleブック検索に対する危機感を云々するよりも、少なくともデジタルで編集されているデータを業界団体が全文可能にできるサイトを構築するなどして、サービスを提供することは、あながち不可能なことではない。
6.その上で、何らかのAPI(OpenSearchなど?)を用意し、Googleからの検索も含めて他の検索サイトからも利用できる(場合によっては図書館のOPACからもAPIを使うことができる)
などの対応も不可能ではないんじゃないかな..って。
どうやらインターネットの時代においては、いかに早くそのサービスコンセプトを世の中に出すか…が重要であって、100%完成してから…では、全くの手遅れ/後手後手/後追い/柳の下のドジョウ…になってしまう。
日本のポータルサイトでは、動画も写真もつぶやきも、機能的にはまったく本家と遜色の無いシステムを作り上げる開発技術を持っているにも関わらず出遅れ感が否めないのは、実はそうした気質がジャマしているのではないだろうか。
[未完成]というよりも、[完成度何%]でそのサービスコンセプトを世に出すか/出せる決断を下せるか。そのことの方が重要になっているように思う。
平日は山中湖村の森の中にある図書館 山中湖情報創造館に、週末は清里高原の廃校になった小学校を活用したコワーキングスペースもある 八ヶ岳コモンズにいます。「わたしをかなえる居場所づくり」をイメージしながら、テレワークに加えて動画撮影やネット副業などにもチャレンジできる図書館/コワーキングスペースづくりに取り組んでいます。
コメント
SECRET: 0
PASS:
アーティストは納得いくまで出しません。
プロフェショナルは恥をかいても納期を守ります。
…どっちかだけじゃやっぱりダメで、みんな何らかの比率で折り合いをつけているんですよねぇ。 Like
SECRET: 0
PASS:
つい先頃、beta の文字をはずした Google。
たとえbeta版であっても、世の中に出して評価を問う。という姿勢が、インターネットビジネスの社会では必要なんだろうなぁ..と、感じております。
興味深いたとえ話ですが、太宰治がワープロで作品を書いていたら、たぶんいつまでたっても出版されなかったろう…というのもあります。
上記の例では、完成度が足りないから/納得できないから…が、出さない理由になってはいないか。それで結局、beta版だろう何だろうと、世間にもまれようが、出してから評価を得る。批評を得ながら完成度を高めていく。そういう姿勢が日本の産業にも問われているんじゃないか…などと考えていたりするのです。
Like