コミュニティアーカイブ
この言葉が僕の中で生まれたときに、「やっと逢えたね」感があった。
デジタルアーカイブが、「デジタル化」に軸足をおいていたことに対し、コミュニティアーカイブは「対象とする地域コミュニティの記憶」に軸足をおいたものだ。
デジタルアーカイブととらえると、先人たちが残した写真もひとつの《素材》であり、デジタル化したことに価値があるように思われるが、コミュニティアーカイブととらえると手法はフィルムであったりスケッチであったり版画であったりしても、そこに《偉大なる先達の偉業》と捉えることができ、定義し直すことで、『コミュニティアーカイブの変遷』という大きな歴史の中に今のデジタルの時代の有り様を捉えることができるのではないだろうか。
コミュニティアーカイブでアーカイブする対象は、総称として「地域コンテンツ」をあげることができる。まちづくりや地域活性化などでは「地域資源」という言葉があるが、以前とあるところで調査した「地域資源」のリストを見せていただいたが、本当に「資源だけ」なのだ。例えば神社ひとつとっても、地域資源的にとらえると、『◯◯神社』という記載にしかならないが、地域コンテンツ的にとらえると『◯◯神社の今の宮司さんのお話し』とか『◯◯神社の森に住む動物のお話し』とか『◯◯神社のこの木のいわれ』とか、実に様々なお話し=コンテンツが立ち上ってくる。本当に必要なのは、「地域資源」ではなく、地域資源にお話しがプラスされた「地域コンテンツ」なのだ。その「地域コンテンツ」を対象としたアーカイブこそが、コミュニティコンテンツと定義することができる。手法はいろいろだ。現物を取っておくのもひとつ。スケッチやイラストで描くのもひとつ。フィルムによる写真や映像に記録するのもひとつ。現代的にいえばケータイ電話のデジカメ機能やデジタルカメラ、ビデオカメラなどでの記録もそうした「地域コンテンツ」に位置づけられるのだ。
あとは、この「コミュニティアーカイブ」をいかに事業化できるか…だ。
二十数年前の環境教育が生まれようとしたその現場では、「環境教育で飯が食えるか」が大きなテーマとして取り上げられ、常にそこに持続性の重心を持っていたからこそ、あれだけ真剣な取り組みができ、今日に至っているように思う。だからこそ僕は「コミュニティアーカイブ」で飯が食えるか…は、今NPOとして最重要課題ではないか…と、思っていたりするのです。
そんな話も27日にできたら…いいなぁ…15分の中ですが。
平日は山中湖村の森の中にある図書館 山中湖情報創造館に、週末は清里高原の廃校になった小学校を活用したコワーキングスペースもある 八ヶ岳コモンズにいます。「わたしをかなえる居場所づくり」をイメージしながら、テレワークに加えて動画撮影やネット副業などにもチャレンジできる図書館/コワーキングスペースづくりに取り組んでいます。
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