北朝鮮によるミサイルだか人工衛星だかの騒動は、とりあえず収拾に向かうようだが、「誤報」や「誤探知」についてあれやこれや騒いでいる…
が…考えてみると、ちょっと変。というよりも、それってどうよ…な感じ。
つまり、たったひとつの情報源からの情報のみを伝えることって、良いのだろうか。
たとえば、図書館におけるレファレンスサービスでは、情報の提供が偏らないような配慮をする。賛成する意見があれば、一方で反対する意見の情報源も案内したりもする。これは「情報」をできるだけ正しく判断するためには、欠かせないことだ。
防衛省や政府の発表であれば正しいと思い込むのは、あの戦争から結局何も学んでいない証拠ではないだろうか。大本営が国が発表することは正しいことばかりでないのは、歴史をみれば明らかな事だ。
それでも、今のマスメディアは、結局[防衛省−日本政府]発表の単なるスピーカーでしかない。どの新聞をみても、どのチャンネルをみても、結局は同じ情報源から伝えているだけなのだ。
それはジャーナリズムとは言えないだろう。あのときの新聞のやったことと、まるで変わばえしていないことを、マスコミに関わっている側は、考え直して欲しい。
(そういえば、松本サリン事件の時だった警察の発表だけをマスコミ各社が報道するから被害者が犯人扱いされたことを、すでに忘れてしまっているかのようだ)
繰り返し書かせていただくが
ひとつの情報源からの情報を正しいと信ずることが、どれほど愚かなことであり、一人ひとりの判断を誤らせることになる
ということを、肝に銘じておかなければ、この国はまた「やむを得ない」を繰り返すことになるぞ。
平日は山中湖村の森の中にある図書館 山中湖情報創造館に、週末は清里高原の廃校になった小学校を活用したコワーキングスペースもある 八ヶ岳コモンズにいます。「わたしをかなえる居場所づくり」をイメージしながら、テレワークに加えて動画撮影やネット副業などにもチャレンジできる図書館/コワーキングスペースづくりに取り組んでいます。
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