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冥福なんか祈るより、まずは悔しくはないのだろうか。

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誰かが亡くなったという報道では、いつのころからか「ご冥福をお祈りします」が常套句になっている。

でもさ

通り魔にしても災害にしても、本人にとっては突然の出来事で、昨日の続きとして今日があって、今日の続きとして明日があると思っているところに、突然なんだかわからないものに、強制的にピリオドを打たれてしまうのだよ。これが悔しい以外の何者であろうか。あの世の幸福なんか祈る前にさ、突然この世から消えてしまったことを、遺族の気持ちもさることながら、本人の気持ちを考えても 悔しいこと とは思わないんだろうか。

「ご冥福をお祈りします」はさ、ある程度の天寿を全うされ、本人も十分生きたというような方にこそふさわしい言葉であって、突然の死に対しては手のひらを返すように「ご冥福を〜」なんて言えないと思うのです。
マスコミであれ個人のブログであれ、僕は正直に「悔しい」なら「悔しい」という気持ちを表現して欲しい…と、思うのです。

その悔しい想いこそ、未来を拓く力になると思うのです。

コメント

  1. taka より:

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    まるさ~ん。
    なんか。
    言葉にしようとすると難しいけど。
    当然のように明日が来る・・・どころか
    今日を終わらせる・・・そんなこともできずに
    亡くなってしまった皆さん、その遺族。
    悔しいと思います。
    でも、「悔しくて仕方ない!!」って怒りをぶつけ合っても
    どうしようもないから、何も生まれないから
    「ご冥福を祈ります。」になるんじゃないかしら。
    「冥福」は「来世での幸福」という意味だそうです。
    今世で悔いを残して、亡くなったであろうからこそ
    「冥福」を祈るのではないかなぁ~と。
    きれいごとに聞こえるかもしれないけど、
    私は自分が通り魔に遭ったとして
    私の周りの人には
    怒りをぶつけ合うような生き方は
    して欲しくないと思います。
    だからこそ、日々、悔いの無いように生きたいです。
    難しいな・・・。
    久しぶりなのに。重くてごめんなさい。では。
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  2. SECRET: 0
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    >taka さん
    まとめ更新、読んでましたよ。
    当然ながら、判ってますよ。
    気になるのは、その言葉で「しかたのないこと」にされてしまうようで、そこで思考停止になる。報道での言葉がモデルになって、多くの人がそういう場面ではそう言うものだと思い込んでしまうのです。
    僕は怒りをぶつければいいと思ってます。
    何も生まれない訳ではなく、悲しみの底からくる怒りがあるから医学は発展し、交通事故を減らそうと人々は知恵を絞ったのです。
    事件なら犯人とその原因を追及し、悲劇を繰り返さないために何ができるかを考えるたり、自然災害なら原因とメカニズムを研究し、同様の災害で犠牲者を少なくするために何ができるかを考えることで、少しでもよい世界をつくる。そのためにも「しかたのないこと」のように、あの世や来生の幸せを祈ると締めくくって欲しくはないんですよね。
    僕は、あえて物わかりの悪い人間、聞き分けのない人間でいたい。
    それとね、僕がたぶん今突然に終わらなければならない状況にあったとしたら、一番気に留めていたい方からコメントといただけたことが、今は何よりもうれしいことなのです。だから何があっても絶対死なないでね。takaさん。
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