ジャーナリズムについて辛口の文章を書いてしまったが、送り手側の問題だけでなく、受け手側にも問題はある。なんの疑いもせずに報道される事を鵜呑みにしてしまうことにも少なからず問題はあるのだ。
『メディアリテラシー(媒体素養)』は、あふれる情報を受け取る社会の中で、最終的には自己判断で世の中を見なければらないことに、気付かされる。
かつてNIE(ニュースペーパー イン エデュケーション:新聞を教育に)に対して、僕は全面的には賛同できなかった。そこには新聞で報道される事から学びを得ることを増長させており、新聞で報道されることに権威づけが意図されているからだ(もっとも、最終的には新聞の購買に結びつけるものであることは言うまでもないが)。だが、最近のNIEにはメディアリテラシー的な要素も含まれているようで、新聞を100%信用するのではなく、自らも疑問を持ち、別の情報源をあたってみることが大切であると。
毒入り餃子ではないが、どんなに安心安全と思っていても、最終的には自分の身は自分で守らなければならない。「変な味」と思ったら自ら吐き出すことができる。そんな素養が必要なのではないだろうか。
平日は山中湖村の森の中にある図書館 山中湖情報創造館に、週末は清里高原の廃校になった小学校を活用したコワーキングスペースもある 八ヶ岳コモンズにいます。「わたしをかなえる居場所づくり」をイメージしながら、テレワークに加えて動画撮影やネット副業などにもチャレンジできる図書館/コワーキングスペースづくりに取り組んでいます。
コメント
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> 「変な味」と思ったら自ら吐き出すことができる。そんな素養が必要なのではないだろうか。
これはすごく良い比喩ですね。
レストランとかで、実際にその行動をとるのは難しいものです。同様に、皆が信じている情報に疑問を投げかけるのは難しいものだと思います。
自己啓発みたいになりますが、まずは、世間体よりも自分を大事にするというところからはじめないといけないのかもしれませんね。 Like
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ジャーナリズムは、新聞や雑誌、テレビ、(今ではウェブメディアもはいるかな)にかかわる仕事、ってことで、ジャーナリストは、その仕事にかかわる人、ってのが辞書的な意味でしょうね。そこに、管制報道ばかりするか、反権力性をおびるかは、そのジャーナリズムがおかれた立場によるんでしょうね。いまの日本では、それらの権力からの距離感よりも、エンタメ性にすぐれているかで見られているように思います。事実かどうかよりも、事実でもなんでもいいから、買ってくれる・もしくは見てくれるのなら、それが「よい作品」となりますからね。 Like
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去年あたりからでしょうか、ある意味で「スポーツ新聞の読み方」「ゴシップ週刊誌の読み方」とか「2チャンネルの利用法」とでもいいましょうか….権威主義的な大新聞やマスコミでは伝えられないようなことを、それなりに伝える方法…というのがあることに気がつきました。
情報の裏を取ることの大切さ…だったり、裏をとれば二流三流のメディアであっても充分に利用価値があるんだなぁ…と、思ったりしてます。そしておそらく、「情報の裏を取る」必要性に関して言えば、新聞やテレビなどのマスメディアにも同じ事が言えるのではないでしょうか。
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はじめまして。
NIEの話、まさに我が意を得たりです。ちょうどメディアリテラシーという言葉が社会的地位を持ってきた頃にNIEが突如浮かび上がってきた印象があります。
どこかのニュース番組メディアリテラシーの特集をやって、その結びにキャスターが「どのメディアも信用しないとなると、何を信用したらいいのでしょうね」と仰っているのを聞いて、軽く吹きました。最後の最後まで信用するに足るものは、自分の判断、ですよね。 Like
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>うぅつぃ さん
コメントありがとうございます。
ニュースキャスターさんの言葉に象徴されますが、どうしてこうも「○か×か」になってしまうんでしょうね。もっと柔軟に、100段階…いや10段階、せめて5段階でもいいから、報道や情報に対して評価する能力が必要なんじゃないでしょうか。
権威があるから100%正しい…なんてことはすでにないのですから。 Like