東日本大震災における自衛隊…いや災害派遣で現地に赴いた自衛官一人ひとりに惜しみない敬意を表します。これは正直な気持ち。
その上であえてこう言いたい。これはこの先50年後、100年後の未来において実現して欲しいビジョンがあるからこそ、あえてこう書きたい。
「東日本大震災は、国防における敗北である」
自然災害とはいえ、国民の生命と財産を奪う脅威には変わりない。それを未然に防ぐ事もできず、またその後に対しても[防衛]はできていない。こと地震や津波に対しては『やられっぱなし』であり、『反撃』すらできていない。自衛隊が行なっているのは、攻撃を受けた被災者を救出することしかできていないのだ。
警察は犯罪が起きなければ動けない、消防も火災が発生してからの活動が主である。しかしながら我が国の自衛隊が他国の軍隊とは根本的に異なることとして、戦争が起きた時に活動する軍隊ではなく、「戦争そのものを起こさないため」に存在している。僕が学んだ時代においては「戦争が始まってしまった時点で自衛隊の役割は終わりなんだ」と。国民の生命と財産を奪う脅威そのものを「起こさない」存在。それが「抑止力」という言葉で表現されてきた。
そのような意味においては、東日本大震災は、3月11日の奇襲的先制攻撃に対して、なんら防衛措置は取れなかった。またその後の余震や全国各地で連鎖的に発生した小規模攻撃的な地震においても、未然に防ぐことはできていない。
これはなにも、地震そのものを「止める」ことを言うのではない。
むしろ、止めることができないのであれば、その脅威に国民が直接さらされないよう、避難させるとか、事前に災害からの国防を視点として教育活動が求められるのではないだろうか。
2011年の技術では、さすがに「地震を止める」ことはできない。
だからといって、「やられっぱなし」で本当に良いのだろうか?
ゴジラなら戦うのか? ガミラスからの遊星爆弾なら対抗するのか? なのに地震には立ち向かうことすら放棄するのか? …と、僕は問いたい気持ちを持っていたりする。今すぐに有効な手段を考えろというのではない。ただ今から始めれば50年後100年後の未来において、なんらかの成果が生まれるのではないか…と、そう考えているだけなのだ。
自然災害から国を守ることも、国防のひとつではないか。
これは僕自身の素直な気持ちなのだ。地震においては、気象庁/国土交通省国土地理院(地震予知連絡会)/文部科学省(外郭団体である災害科学研究所)のように複数に分けるのではなく、国防の観点から自衛隊内に災害を専門に扱う専門組織「災害自衛隊」を、陸・海・空に加え四つの自衛隊で対処することはできないのだろうか?
平日は山中湖村の森の中にある図書館 山中湖情報創造館に、週末は清里高原の廃校になった小学校を活用したコワーキングスペースもある 八ヶ岳コモンズにいます。「わたしをかなえる居場所づくり」をイメージしながら、テレワークに加えて動画撮影やネット副業などにもチャレンジできる図書館/コワーキングスペースづくりに取り組んでいます。
コメント
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>消防も火災が発生してからの活動が主
「め組の大吾」では消防官の「火事を出さないための戦い」が描かれてましたが、あれって「業務」とは言い難いよなぁ。 Like
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五味さんでしたっけ。ひとりで街中を歩いて街の人に声をかけながら危険な箇所を指摘したり、注意したり、世間話したり。本当はとても大切なこと。ただ火災が起きてからが消防の本領発揮。火消しは[火]がなければ消せないのです。
また特車二課の後藤さんは、「おれたちの仕事は本質的にいつも手遅れなんだ」と言っていたことも忘れられません。犯罪が起きてしまってから、殺人事件や犯罪、事故が起きてからでないと仕事にはならないのです。
それに対して自衛隊は、「他国から攻撃を〈受けて〉しまう」ことや「戦争が始まること」そのものを防いでいる組織であり、日頃の訓練そのものが「抑止力」と言われるように、「国家間の戦争が起こることを防ぐ」という国防意識があります。
そのあたりが、警察や消防とは大きく異なる組織の目的を持っているところであり、願わくばその国防体制を、他国からの攻撃だけでなく、自然災害からの攻撃(国民の生命や財産を奪う脅威)から『守る』ことを含めていただければ…と、思う訳なのです。
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