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人は物語を食べて生きている 「ものがたりすと」を考えてみる

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twitterにつぶやきながら、ひとつの作文ができあがったりします。
今日はこんなの。


今、僕の中で「インタープリテーション」を自然解説とするだけでなく、ストーリーテリングのひとつと捉え直すことで、図書館と博物館と自然解説と市民メディアと地域コンテンツとデジタルアーカイブがつながり始めている。なんか、そんな感じ。

そこからひとつの言葉が生まれています。
「人は物語を食べて生きている」
「人は物語をとり上げられると生きていけない」
「人は物語で動的平衡を持続できる」
「人は物語さえ残せれば、いつまでも生きていける(肉体が滅んでも)」

そう、先日参加した「第2回つなぐ人フォーラム」は、何もそこに参加した人がつながりさえすればそれでお終い…という訳ではなく、それぞれの人が、それぞれの現場で、お仕事と通じながら、伝えるべきことと人とをつなげていく…そのためのスキルアップと情報交換の場。

僕は10分間のプレゼンテーションで「忘れられた図書館」を語ったが、博物館、動物園、水族館、科学館、ビジターセンター、まちづくりなどなど実に多種多彩な人たちが集まったのだが、「インタープリター=つなぐ人」として集う一方で、僕はそれぞれの人は「物語と人とをつなぐ人」なのだと強く感じた。実はこの言葉は参加されていた重盛さんが、何気に言った一言の中にあったのだ。

さらに、[物語]をキーワードにしたとたん、インタープリテーションは何も自然科学系の独壇場ではなく、図書館も地域コンテンツも市民メディアもデジタルアーカイブもメディアリテラシーなどの分野の人たちとも交流ができる[場]を作ることができるのではないか…と、強く感じている。

 インタープリター=つなぐ人
 インタープリター=語り部
 インタープリター=モノガタリスト

そう。モノガタリスト、ものがたりすと、物語すと、MONOGATARIST。
数年後には、日本ものがたりすと協会 なんていう団体も生まれていたりして。
そうだな、『日本物語遺産プロジェクト』はこの協会にやっていただこうか。

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