誤解される事を重々承知の上で、あえて言葉にしてみたい。
地球温暖化、自然環境に対する関心の高まりで
地球を守ろう
という人はいても、どういう訳か
記憶を守ろう
という人はいない…この不思議。
考えてみてください。これまでにも、汚れた海も、汚れた川も、朽ちた森も…人の知恵や努力で蘇ることはあるのです。環境問題を扱った本には、必ず登場します。もちろん失われた「絶滅種」を取り戻すことはできませんが、バッファローのように希少種を増やす事も一方ではできるのです。
それに比べ…失われた記憶は、人類がどんな英知を費やしても、一度失ってしまえば取り戻すことはできません。過去に戻って記録することはできないのです。1枚の写真、その人の声、映像に記録された姿など…その記録媒体が失われることで、永遠に取り戻すことができません。
これは、自然環境が失われることの比ではないのです。
考えてみてください。致死率100%の人間の記憶は、死んでしまえばそれまでです。残した記憶でさえも、失われてしまえばそれまでです。それでも覚えている人がいることは一つの救いですが、その人もまたいずれ死んでしまうのです。
だからこそ、自然環境を守るとか地球を守るとか言えるのであれば、「人の記憶」「まちの記憶」「地域の記憶」もまた、守るに値するものではないでしょうか。
そんなことは、まだ誰も声をあげていませんが、僕はそう思います。
地球を守ることも大切だけど、記憶を守ることもまたとっても大切なことなんだ…と。
Save the future, and Save the memories
平日は山中湖村の森の中にある図書館 山中湖情報創造館に、週末は清里高原の廃校になった小学校を活用したコワーキングスペースもある 八ヶ岳コモンズにいます。「わたしをかなえる居場所づくり」をイメージしながら、テレワークに加えて動画撮影やネット副業などにもチャレンジできる図書館/コワーキングスペースづくりに取り組んでいます。
コメント
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記憶が守るに値するものだということにはまったく同感です。
ただ、記憶を残すことによって、不利になることを覚悟する矜持が必要なのではなかろうかと思います。 Like
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>power_of_math さん
コメントありがとうございます。
すべての記憶を公開せよ…と言う訳ではありません。
写真共有サイトにもあるように、
1)私だけ(これはお墓まで持っていくこと)
2)家族
3)一族(子々孫々)まで
4)お友達まで
5)一般に公開
みたいに、残す記憶にもパーミッションをつけておくとか、
6)50年間は非公開
とか時限を設けたりとか…そういう残し方をイメージしています。
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死後20年は非公開という原則のもと、すべてを記録すると言うのが妥当な線でしょうか。 Like