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目的と手段のはき違え:猪瀬直樹氏のコラムを読んで。

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東京都が「活字離れ」対策チームを発足。そのリーダーには作家の猪瀬直樹氏があたるとか。
その猪瀬氏のコラムが日経BPネットに連載されているが、前回と今回の2つを読む限り…目的と手段をはき違えていることが読み取れる。
図書館に関わるものとして「読書推進」は望ましいことではあるが、それは目的ではなく、ひとりひとりの課題を解決することが目的で、読書はその手段のひとつである。これは現場に関わる者ほど、実感することではないだろうか。

【猪瀬直樹の「眼からウロコ」】
 ・「活字離れ」をどうするか、東京都が考える 2010年04月27日
 ・日本と外国の若者の差がどんどん開く 2010年05月11日

プロジェクトチーム「活字離れ対策検討会(仮称)」づくりのための意識改革として開催した講演会に、北川達夫氏や三森ゆりか氏を招聘したことでもわかるように、このミッションは「活字離れ=読書推進」ではなく、
論理的に物事を考え、論理的に言葉を用い、論理的に話し、伝えたい相手に自分の意志を正しく伝えること いわば、コミュニケーション対策なのだ。その手段として「活字離れ対策」とすることで、手段の方が目的化してしまっている。活字さえ読んでいればいいのか。読書さえしていればいいのか…否である。

また5月11日のコラムで気になった事は…一方では休み時間の風景と一方では授業中の風景を比較対象としている点。米国あたりでは、小学校に入学する前の幼稚園時代から「show and tell」とよばれるプレゼンテーションを行う時間があるという。人前で相手に理解してもらうためにどのような言葉を使いどのように組み立て、どのように表現するか…を、小学校前から体験するのだ。それに比べ日本ではそのようなトレーニングは存在していない。欲しい物があってもデパートでダダをこねて泣き叫ぶだけで、自分はなぜそれが欲しいのかと親を説得することは…皆無である。

で、これは大人側あるいは日本の社会にも問題がある。
「理屈っぽい子は嫌われる」
子どもの頃に「なぜ・どうして」を大人に尋ねても拒否され続ければ…疑問や質問を持つことすらあきらめてしまうのが子どもらの処世術。論理的に説明しようとしても「口ではあんたに勝てないからね」などと言われてしまえば、そこから先には進めない。そうした大人の社会の中で、子どもたちは疑問を持つことも、質問することも、論理的に話すことも…いっさいあきらめてしまう。

もし僕が…このプロジェクトチームに関わる機会があったら(まず無いけど)こういいたい。
「活字離れは起きてないし、読書離れもない。一人当たりのテキスト消費量は信じられないくらい増えている。ただ論理的に読むこと/書くこと/伝える事ができないし、それは義務教育の中でも高等教育の中でも実施されていない。」。モデルは諸外国にはたくさんある。
義務教育前の「Show and Tell」から TED Conference、Stive Bobsのプレゼン。ネット上にもたくさん無料でアクセスできるのだから。

【参考】
 ・ASCII.jp:「show and tell」の文化|塩澤一洋の“Creating Reed, Creative Mass.──大公開時代の羅針盤”
 ・TED
 ・TED: Translations Talks in 日本語字幕つき
 ・Apple Keynotes iTunesが必要です。
 ・Bob and Joe: Mainframe Show and Tell
 ・Show and tell: Extending learning both within and beyond the classroom

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