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やはり災害は憎むべき対象である

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通り魔殺人事件においては、誰もが犯人を憎む気持つだろう。もちろん罪を憎んで人を憎まずであるので、なぜ彼が犯罪を犯したのか、その根本原因こそ憎むべき対象であろう。
また、さまざまな医学的な発展も病を憎み病気の根本をやっつけることを日々研究している。

しかしながら、人間はどこか天災を“しかたのないもの…”として諦めてはいないだろうか。

宇宙に進出でき、インターネットで世界中をつなぎ、量子力学の世界を開き、万能細胞を作り出した人類である。その気…本当に本気になれば、災害ですら克服できると思う。人類がそれに気づくまでは、何度何度も、悲しく理不尽な災害による犠牲を出し続けるだろう。悲しいかな二十数万人の犠牲者を出したスマトラ沖地震による津波も、その後は…どんな災害防衛措置をとっているのだろうか…と。

 人間の我がまま…なのかもしれません。
 地球には地球の都合があるのかもしれません。
 それでもやはり
 “災害は憎むべき対象である” と思うのです。

すべての防災関係者は、災害を“しかたのないもの”とするのではなく“憎み克服すべき対象”であると考えるべき時代になったのではないだろうか。

コメント

  1. After内藤 より:

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     人間、自分と形のない物を憎むのは苦手です。だから「とりあえず」秋葉原に行って見ず知らずの人に向けてみたりする。
     例えば、護岸工事をするたびに水害の規模は大きくなります。この場合誰を憎めば?
     個人的には、自然をコントロールしようという傲慢は人類滅亡への歩みを早めるだけだから「いかに自然と折り合って種として生き延びるか」に移行しようとしている段階(今しなければ手遅れ)に入っていると思いたいです。 Like

  2. SECRET: 0
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    自然災害*1 もひとつの病気と考えてみる。
    それは突然病気になるのではなく、実は健康(のように見える状態)であっても、しっかりと病気は大きくなっていて、それがある程度を超えると、発病したりします。自然災害も突然起きているように見えますが、地殻へのストレスはもう何十年も前から溜まっているんです。医学で言うところの「予防医学」や「早期発見」によって、自然の持っている破壊的なエネルギーを、少しでも人命と財産に影響が少ない程度に発散させることができれば、いいんじゃないかなぁ…って、思います。それは自然をコントロールすることといえばそれまでかもしれませんが、例えば個人でも適度なストレスの発散によって、キレることを回避することはあると思います。自然が抱えているストレスを軽度のうちに発散させる。そんな災害防衛技術の開発は可能だと思っています。
    *1. 丸山的定義:自然災害とは自然の変化が人間の生命と財産を奪うこと…人間の生命と財産を奪わない自然の変化は災害と呼ばない。
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  3. After内藤 より:

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     水害規模を大きくする護岸工事は「災害防衛」に入らないのならおおむね賛成です。 Like

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