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電子出版物流通センター(仮称)がなぜ出版社(権利者)にアクセス料金を支払うのかの疑問

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 国立国会図書館の長尾真館長による「デジタル時代の図書館と出版社・読者」の構想が、ネット上のあちらこちらで話題になっている。
 あたかも今すぐに、国立国会図書館がデジタル化された図書館資料のすべてを数百円で利用できるかのごとく報道されているが、これはまだ長尾館長ご自身の[構想]であって、すぐにそうなる訳でもないし、何らかの検討組織が動き出しているという訳でもない。
 どうしてこう早合点して、捕らぬ狸に過剰反応するのだろうか…と思ってしまうほど。ただ、あの構想図に対しては、ちょっと気になるところもあるので、ひとつ/ふたつ

まずはその構想図は、CNETのニュースにあります。
 ・ 国会図書館、書籍をネット配信へ–利用料は1冊数百円程度に CNET Japan

僕が一番気になっているのは、この図の中の[電子出版物流センター(仮称)]から[出版社(権利者)]への(アクセス料金の支払い)のところ。正直なところ図書館サービスであるならば、ここは要らないと思っている。利用者から料金を徴収するのは実費負担として理解できるとしても、それを権利者に還元することはどうなんだろう…と。
 僕のイメージでは、電子的であろうと物的であろうと流通にかかるコストがあることは理解できる。この電子出版物流で利用者が払う料金は、図書館までかかる電車賃(交通費)や相互貸借にかかる宅配料金と同じものと捉えるのならば、なおさら[その一部を権利者に戻す]理由はない。相互貸借で宅配料を利用者からいただくことには抵抗はないが、だからといって宅配会社さんが権利者に送料の一部を支払う理由は無いのと一緒。

基本的に、デジタル化されているとしても、資料提供は一定期間1コピーのみであるならば、著作権(コピーライト)の根本的な考え方には抵触しない。著作権での問題は、媒体の如何によらず[複製物が存在してしまうこと]が問題。千代田区図書館の電子出版物の貸出サービスでも、1コンテンツはつねに1コピーが一定期間利用されるだけにしているので、この問題は回避されているのですから、これと同様の仕組みができれば問題はないのではないだろうか。

 というわけで、丸山としては電子出版物流通センターがデジタル化した図書館資料の提供をする場合においても、利用者からアクセス料の徴収は実費負担としてかかるものとしても、一定期間1コピーのみが閲覧できるだけならば、アクセス料金を出版社(権利者)に支払う必要は無いと強く断言したい。これを認めてしまうと、図書館からの貸出す際に宅配業者が徴収する宅配料金すらも権利者に支払わなければならない理屈を作ってしまいかねないのですから。

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